遺族代表の言葉


2010年 震災15年 兵庫県追悼式典 遺族代表の言葉

「会いたい、もう一度会いたい」

 本日ここに、皇太子同妃両殿下のご臨席のもと、「1・17のつどい 阪神・淡路大震災15周年追悼式典」が厳粛に執り行われ、ご来賓の皆様方から丁重な追悼のお言葉を賜りましたことに、遺族を代表して心から御礼申し上げます。
 連休明けの1月17日未明5時46分、天と地をひっくり返したような大きな揺れに、長男「誠」16歳とホームステイをしていたオーストラリア人の「スコット」24歳が我が家で亡くなってから、15年が経ちました。
3階建ての2階の部屋で寝ていた2人は建物の重みに押しつぶされ、スコットは即死し、誠はうつぶせに寝ていたベッドで30分位は助けてくれと言うようにベッドの横板をとんとん、とんとんと、叩いていました。何度も何度も助けだそうと、両足を引っ張りましたが、瓦礫の重さに動かすこともできず、冷たくなっていく我が子をどうする事も出来ませんでした。「ごめんな。助けてやれなかったな。痛かったやろ、苦しかったやろな。ほんまにごめんな」。 これが現実なのか、夢なのか、時間が止まりました。そして身体中の涙を全部流すかのように、毎日涙し、どこへももって行きようのない怒りに、まるで胃液が身体を溶かしていくかのような、苦しい毎日が続きました。
 3年位経ったある日、同じく長男を亡くした2人のお父さんと知り合い、自分だけがつらい想いで生きているのではないと、知らされました。その日から、あの時6000余りの人が亡くなり、それぞれの家族に震災のつらさがあるのだということを、想えるようになりました。  亡くなられた皆様に会えなくなって15年。あの笑顔、あの声、決して忘れることはできません。「会いたい、もう一度会いたい、会いたい」 皆様へのこの想いは、変わることはありません。
 そんな想いの私たちにも、まるで皆様が引き合わせてくれているかのように、新しい出会いがたくさん生まれました。 生き残った私たちに何ができるのか、共に助け合い、語り合い、涙して、過ごしてきた15年でした。生き残った私たちも、いずれ皆様のところへ参ります。その時に、あの震災の日から命の限り一生懸命生きてきたよと、胸を張って言えるように、1日1日を大切に生きていくことをお誓い申し上げます。 亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。




2004年 震災9年 兵庫県追悼式典 遺族代表の言葉

九年前の一月十七日、私達の長男は、一歳半という、短い人生を終えました。生きていれば今、小学校四年生です。私は、手を伸ばせば届くところに寝ていた息子を助けることができず、自分が生き残ってしまったことを責め続けて生きてきました。人見知りをしなかった息子が、震災の二ヶ月前から私の姿が見えないと泣くようになっていました。天国でも、私を探して泣いている気がして、私は、息子のそばに行くことばかりを考えて生きていました。息子に一歳半から先の人生を送らせることができなかったという親としての悲しみは、私が生きている限り消えることはないでしょう。
亡くなった息子には、双子の妹がおります。震災後の私は、悲しみのために娘のことが見えなくなっていました。当時の娘は、大好きだったきょうだいを亡くしただけでなく、自分を見つめてくれる母親の存在も失っていたのかもしれません。娘も娘なりの悲しみを抱えてこの九年間を過ごしてきたことでしょう。それでも、幼い娘は、私が泣いていると、必ず「ママ、大丈夫だよ、将くんはここにいるから」と励ましてくれました。
震災から三年後、西宮の慰霊碑に息子の名前が刻まれました。その日、私は、「娘こそが、息子に『あの時、生きていてほしかった』といつも願っていた私にとっての『生きていてくれた子供』なのだ」ということに初めて気がつきました。それから、私は娘が生きていてくれていることに、心から感謝し、娘の悲しみについて、考えるようになりました。そして、息子の死には、父親、母親、きょうだい、そしておじいちゃん、おばあちゃんやその周りにいる人たちのそれぞれの悲しみがあることを知りました。
九年経った今でも、大切な家族や友人、そして家や仕事を失った人たちの心の傷は、決して消えることなく、心の奥、深くに残っています。これから十年先、二十年先を見据え、目に見える復興だけではなく、目に見えない心の復興に向けての支援を、行政をはじめとする社会全体で行っていただけることを願っています。
この九年間の出会いが、私を強く、そしてやさしくしてくれました。私の悲しみを否定せず、そばに寄り添ってくれた人たちや、同じ経験をした人と出会い、悲しみを吐き出すことができたおかげで、再び笑うことができるようになりました。その家族や友人にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
これからも出会い一つ一つを大切にしていろんなことを感じ、考え、生きていくことが、亡くなった息子と生きていてくれた娘のために、母親としてしてやれることではないかと思っています。
私は、息子の命を一歳半で終わらせたくはありません。震災で感じた悲しみ苦しみを忘れることなく、あの時に得た支え合う心、やさしさ、命の尊さをしっかりと心に刻んで、考え、伝え続けていくことで、息子をはじめ、亡くなった多くの方の命がこれからも輝き、生き続けてくれるのではないかと思っています。
最後になりましたが、震災で犠牲になられたすべての方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉とさせていただきます。 平成十六年一月十七日